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三五工務店 家語 家語(いえがたり)STORY5

35 STORY

三五工務店の想い、取り組み、いごこちのいい暮らしへのヒントを発信しています。

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家語
暮らしのカタチ[施工事例]
住み継ぐ家
MADE IN 北海道
三五な人
提案型住宅

家語

2018.08.23
produced by Replan 家語(いえがたり)STORY4 ATELIER O2 大杉 崇さん

家語 60th Anniversary Talk Session
株式会社 三五工務店 代表取締役社長 田中 寿広
株式会社 三五工務店 取締役副社長 田中 裕基
建てる家とともに、
100年を超えても元気な幸・夢・店へ。

三五工務店は2018年で創業60年を迎えました。
これまでの家づくりの軌跡と、これからの暮らしづくりや住まう方への想いを、社長と副社長の対談でお伝えします。

【創業60年】いごこちのいい家を建てたいという一心で
【創業60年】
いごこちのいい家を建てたいという一心で
副社長
三五工務店の歩みは、1958(昭和33)年から始まりました。創業者の田中藤雄が田中組として独立開業し、3年後には田中工業所を設立、株式会社として現社名になったのは1973(昭和48)年ですね。社長とはいつも会社の未来のことばかりを話していますが、今回は60周年の節目ということで、創業から現在までを少し振り返ってみようと思います。ちなみに私は社長の長男、そして社長は創業者の長男です。社長はちょうど創業年に生まれたそうですが、いつごろから会社の記憶がありますか?
社長
5歳ぐらいかな。当時は自宅兼事務所だったので、家の前に角材が積まれていてね。朝になると大工さんが集まってきては現場に散っていく姿だとか、雨が降ると工事が休みになって、みんなで朝から飲んでいたりとか(笑)。そういうのが原風景だよね。
副社長
幼いころから会社を継ごうと思っていたんですか?
社長
なんとなくそういう雰囲気はあった。父はもともと腕のいい大工で、地域の地主さんから直接仕事を頼まれるようになったのが創業の経緯でね。でもかなりのお人好しというか、あまりに安く仕事を受けてしまったりして、経営的には苦労していたんだよ。だから幼心に誰かが支えなければまずいという思いはあったかな。それで工業高校の建築科に進み、短大を卒業して入社しようとしたら母が泣いてね。うれし涙じゃなくて、「こんなに大変な仕事を息子にやらせたくない」って。父は喜んでくれたけれど。それが1978(昭和53)年、20歳のこと。
副社長
それから12年後の1990(平成2)年に代表取締役に就任されていますね。当時はどんな思いを抱いていたのですか?
社長
とにかく技術革新に燃えていた。暖かい家を建てることに対して、国内の住宅メーカーはまだまだ知識と技術が優れていなかった時代だから。その3年ほど前、世界トップの技術をつかむためにスウェーデンとドイツへ海外視察研修に行かせてもらってね。現地で「この家は何年もちますか?」と聞いたら、「質問の意味がわからない。メンテナンスをすれば何百年でも住めるのに」と返されたんだよ。当時の日本の家は特に寿命が短かったから、価値観の違いに衝撃を受けたよね。それで戻ってきてからの数年間は、気密、断熱を徹底的に追求した。暖かくて快適で、寿命が長く、デザイン性も高い家づくりだね。父や大工さんには新しい技術をなかなか理解してもらえなくて、毎日のようにぶつかりあったけれど、いごこちのいい家を建てたいという思いは共通だったから、火花を散らしながらも前進できたんだと思う。
【幸・夢・店】
幸福と夢をかたちにする それが工務店の仕事
副社長
そうして性能とデザインを追い求めるなかで、2002(平成14)年には、現在も使用している「幸・夢・店」というキャッチフレーズを商標登録していますね。
社長
「暮らす人の幸福と夢をかたちにするのが住宅である」という自分の考えにぴったりの言葉だと思っている。さらには従業員や取引先も含めて、すべての人が家づくりを通して幸せになってほしいという思いを込めて。
副社長
私はまだ入社すらしていませんでしたが、この言葉を最初に聞いたときは反対しましたね(笑)。当時の自分には、単純にカッコいいと思えなくて。そもそも、工務店そのものに対しても未来を感じられないというか、なにか古びたイメージを抱いていたんです。それから私も歳を重ね、今では地域に根ざした工務店であることに誇りを感じていますので、「幸・夢・店」もすごくカッコいい言葉だと思っています。
社長
自分も若いころは「三五工務店」という社名はどうなんだと疑問を抱いたよ(笑)。80~90年代には社名をカタカナに変える会社も多かったからね。でも、みなさんが「三五さん」と呼んでくださるのが、札幌の老舗デパートが「さん」付けで呼ばれる感じと重なって、これは大切にすべき名前だと思った。
副社長
まさにザ・工務店という雰囲気の名前で、すごく価値があると思います。ちなみに「三五」に込められている意味を聞かれることも多いのですが、初期の自宅兼事務所が「北35条」にあったというだけなんですよね。
社長
いたってシンプル(笑)。でもそれがいい。
副社長
これがだんだん好きになってくるというか、社長も私も、自分の車のナンバーまで「35」ですね。
【MADE IN 北海道】
地域とともに、地域のためにつねに新しい挑戦を
副社長
さて、近年では2011(平成23)年から企画型住宅にも取り組み、現在では「talo(たろ)」「neliö(ねりお)」「Tricoro(とりころ)」「SOCOCO(そここ)」という4タイプを展開しています。
社長
工務店というのは注文住宅にプライドをもっているから、企画型住宅なんてやってられないという考え方もあるけれど、これまで我々が注文住宅に注ぎ込んできた知見の集大成として、デザイン性が高く、非常にコストパフォーマンスの優れた住宅を提供したいという思いで始まったプロジェクトだね。第4弾の「ソココ」ではグッドデザイン賞とハウス・オブ・ザ・イヤー・イン・エナジーのダブル受賞も果たし、デザインと性能の両面で全国的に評価されたのはうれしかった。
副社長
そして2014(平成26)年には、日本初の「全棟カラマツ宣言」ということで、道産材を積極的に活用していく姿勢を明確に打ち出しました。これには私も携わってきましたが、最初は社内での反対意見も多くて(苦笑)。まずコストの問題、さらにカラマツは堅くて重いため作業効率の問題もありましたが、コストダウンを図り、工法も変えながら諦めずにやってきました。
社長
前半で話した自分の若いころもそうだったけれど、新しいことをやろうとすればアゲインストの風がすごい(笑)。でも、みんなが当たり前だと思っていることばかりを繰り返しても前には進めないんだから、しつこくやっていくしかないんだよ。
副社長
そうですね。一方で、創業時から変わらず地域に根ざし、地域のために微力ながら取り組んでいくことも、工務店の使命だと感じています。建材だけではなく、グループ会社の35designで製作する家具にも道産材を使用していますし、同社で運営しているカフェ「35stock」では積極的に北海道の食材を使っています。
社長
北海道のものを用いることで、お客さんに喜んでいただくのはもちろん、生産者や我々、ひいては地域全体が幸せになれるという「三方よし」の精神は、これからも大切にしていきたいね。
【そして100年へ】
いごこちのいい暮らしをずっと支えつづけたいから
副社長
はい。その基本的な理念に基づき、さまざまなことに取り組んでいきたいです。たとえば、弊社で雇用している社員大工が、小学校の図工の時間などにものづくりを教えるという地域貢献もできるのではないかと。このほか、いい意味で工務店の枠を超えていくことが、長く生き残ることにつながると思っています。
社長
スタッフそれぞれが絶え間なく努力してきた結果、現在では確実に100年を超える耐久性のある家を建てることができるようになった。ということは、弊社もより長く元気でありつづけなければ、建てた家の恒久的なアフターサービスができなくなるということ。会社というのは人間と同じだから、精神と肉体はいつも磨いていなければ劣化してしまう。両者のバランスを保ちながら進み、次の走者にバトンをつないで、会社の健康寿命をどこまでも伸ばしていきたいね。長く続いていくことが工務店の大きな責任だから。
副社長
そうですね。これまで「いごこちのいい家づくり」としていた弊社のスローガンを、最近「いごこちのいい暮らしづくり」と改めました。家をつくる工務店から発展し、暮らしをつくる幸・夢・店になっていきたい。そのような思いを共有できる人材を育て、社内外の同志とともに歩み、創業100年を見据えながらしっかりバトンを受け継いでいきたいです。